2021/08/18 認知哲学読書会メモ

  • 身体性認知科学の基本的発想は「認知や知能といったものは知覚と運動の協調によって比較的シンプルなメカニズムから創発する」というもの。
  • 人間にも昆虫で見られるような単純なメカニズムは存在する。おそらく、昆虫における「本能」的なものは人間においても同様に「本能」としてある。人間において、それは「無意識」として運動される。歩くなど。
  • 山口さんは、本能を価値システム(行動によって何が為されるか、つまり行動の価値を設定する)的なものとみなしている。
  • 人間においては、行動の動機は本能から固定的・一義的には導出しない。思いつきや動機や関心によって「価値」が創出され、それにより次の行動が決定されていく。つまり、意識とは「処理すべき情報そのものを設定する装置」(p.108)である。※これが自由意志と繋がっていくのでしょう
  • 著書を通じて、山口さんは「本能」と「意識」を独立なものと設定していると解している。人間においては、歩くことなどの比較的単純なメカニズムの行動は本能という価値設定から導出するもので、それ以外の例えば爆弾を処理することなどは意識という動機や思いつきなどから導出する。
  • 本能と意識はともに、「自分自身のために存在すること」(私はこれも一つの価値であり、これがどこから生じたのかは疑問である。あるいは前提としているのかも。)を基盤に生じる。それゆえ、ロボットは人間が製作つまり他者から価値設定が置かれている(昆虫における本能、ロボットにおけるシステム)ので、上の「」内は達成されえない。
  • 進化論は自己保存や生殖を第一義的に設定しているが、これらがそもそも何故なのかを問うことはむり。
  • 進化論的視点から行動を評価すると、それは自己保存や生殖という価値により結果が評価される。一方、個体レベルの視点から行動を評価すると、進化論的な目的で行動をしているとは考えづらく、別の目的(人を好きになるのは生殖でなくなぜか惹かれる・顔がタイプ)があるということで意味づける。ただし、別の目的=動機などは感情などの自然発生的なものであり自身にはコントロールできない。ゆえに他者的でもあるため、進化論的説説明が可能な余地が残る。
  • ヒュームの観念連合説は現在の心理学の場面でも陰に影響を残している。
  • 単純観念と複合観念
  • 単純観念は「感覚与件」(判断や解釈を加えるまえの直接的な経験)と「認識の単位」(単純観念が反復して様々な複合観念に使用される)の二義性がある。
  • しかし、これは単純観念があまりにも知覚を一般化しすぎていることに難点がある。「丸いもの」として、りんご/夕日/月が結び付けられるとして、それらが同じ概念(カテゴリー)捉えるのはおかしい。もっと、個別的・特殊的であるはず。
  • ゲシュタルト心理学行動主義心理学からは批判されている。

 

  • ちょっとした疑問や気になったこと
  1. p.110の「延長線上」という語
  2. 人間あるいは昆虫などが誰かから(超自然的存在)から設計されたかもしれないという可能性は、なんというかくだらないから書いてないないのかしら
  3. 本能と意識(動機や関心や思いつき)を独立なものとして扱うのは、穏当な主張であるように思える。実際私はこうあってほしいというか、本能を完全に排除することなしに自由意志が残るというのは魅力的。ただ、p.108の注2にて、思いつきにもその人なりの必然性があると記されている。この「必然性」とは?それこそが本能なのでは?この必然性を、状況判断からの合理的帰結を導く経験的に獲得した合理性くらいに読めばいいのかもしれないが、ではその合理性というか必然性はどこから生じるのだろうか。いや、これこそが観念連合によって説明できるのか‥。書いててなんだかわからなくなってきました。おわり