アブダクションと帰納の違いについて

アブダクションとは、ある現象についての説明として仮説Hを形成し、その仮説Hを経験的にテストすることである。例えば、ある現象「いつも行くスーパーが今日休みだった」を説明する仮説として「そのスーパーは毎週木曜日に休む」を形成したとする。この仮説は、「今日は木曜日である」という経験的に確かなことからテスト可能である。

一方、帰納とは同じ種類の現象から一般的な法則を導き出す推論である。例えば、「そのスーパーは先々週の木曜日休みだった」「そのスーパーは先週の木曜日休みだった」「そのスーパーは今週の木曜日休みだった」ことから、「そのスーパーは毎週木曜日に休む」というより一般的な法則を推論する。

この2つの推論の重要な差異は、仮説の位置づけである。アブダクションは仮説形成法と言われるように、まず仮説を前提として推論を始めている。一方で帰納法は仮説を前提とせずに、経験的な事柄から蓋然的な命題を導き出している。

しかし、この区別はあまり本質的ではない。なぜなら、帰納法に関しても、何らかの暗黙の仮説が用いられているからである。先ほどのスーパーの例でいえば、帰納的に推論するために集めた事象3つは、「もしかしたらスーパーは毎週木曜日になると休むのかもしれない」という暗黙の仮説を用いている。そうでなければ、先々週、先週、今週の各木曜日がたまたま事象として集まるわけはない。明確な意志をもって、この3つの事象を持ってくることで、より一般的な命題「そのスーパーは毎週木曜日に休む」を導き出そうとしている。

とすると、帰納法で用いられている暗黙の仮説はどこから生じたのであろうか。それは、アブダクションによってである。まず初発としてある現象を観測する。そしてアブダクションによって仮説を形成する。ここまでが帰納法では範囲外として扱われている。したがって、帰納法とは、アブダクションによって形成された仮説を、経験的に確かめるための推論であるといえる。

ということは、アブダクション帰納の違いとは、アブダクションが仮説を「発見」する役割を担うのに対して、帰納が仮説を「正当化」する役割を担うということである。

 

 

備考

仮説を正当化する推論として、演繹があってもよいだろう。実際、仮説演繹法というタームはある。しかし、上記で説明したような、所謂、仮説帰納法との違いはあまり分からない。正確に言えば、正当化するための過程としてどちらが優れているかや、どういった特質がそれぞれにあるのかは不明瞭である。演繹と帰納の一般的な違い(真理保存性の有無)をそのまま継承しているだけなのだろうか。