8時前に起床。
9時に新宿。サークルのメンバーと千葉へ旅行。
海ほたるはもはや何度目か。つまらない場所。
養老渓谷へ行き滝を見るなど。温泉に入りその後新宿へ戻る。
帰りの車内では、後輩の一人とゆっくり話した。彼女への印象が大きく変化したかもしれない。おっとりしているだけの人だと思っていたが、他の人にはないモノの見方をしているようだ。「おっとり」というのももしかしたら適切ではないかもしれない。
21時、打ち上げには参加せず帰宅。
焼きそばとジャガイモ焼きを食べ、就寝。
前日は『おんなのいえ』を読んだ。孤独を受け入れる過程を描いた作品として理解。
太田光の笑いは、ピエロになることであると再確認。必死にやることが空回りしてしまい、それが可笑しいという具合。現在のテレビの中でこれを体現するには、技術が高くスマートに笑いをとる他の芸人の中で、必死にもがきスベることが「空回り」になるのかもしれない。そう考えると、普通のお笑いの中でより高次のお笑い(=ピエロ芸)をやることは、メタ的な笑いということになる。
27時間テレビでの太田さんのピエロは、それが最も完成された形であったのかもしれない。賛否両論あったあのピエロであるが、私はお腹を抱えるほど笑った。真剣に必死にもがきながらも全て外してしまう太田さんの姿が、まさにピエロであった。そして重要なことは、これを太田さんが意図的にやっているという点だろう。正確には、意図的であるかどうかは定かではないが、太田光がチャップリンに憧れていることや、太田光のコントネタにおける鋭いセンスに鑑みると、意図的であると考えるのが自然ではないか。ということは、太田光は数いる芸人の中で唯一違う方向──もっといえば唯一さらに高い次元──の笑いを目指しているということが分かる。ここに、太田光は「孤高の天才」といえる理由がある。