2021/4/26

とりあえず、はてなブログを始めました。

最初の内は雑記から書いていこうと考えています。

徐々に読んだ本についてまとめたものも書いていこうかと思います。

 

・『ヨーロッパ大陸の哲学』(岩波書店)を現在読んでいるので、それの読書メモ的な何かを書く予定です。一応、大陸哲学・英米哲学に関した他の本も読んだ上で書こうと思っているので、少し時間はかかるかもしれないです。 今月中には書きます。

 

新文芸坐は緊急事態宣言が出てもほぼ通常通りの上演を行ってくれるようで安心しました。

 

・『新しいカギ』というコント番組の録画を観ました。メインとなるのが誰なのか曖昧なのは意図的なのでしょうか。いずれにしても、お笑いの波がまた来ているみたいです。若手・中堅の芸人をあまり追えていないのでこれからは意識してラジオなどを聴いていこうと思います。

 

豊岡市市長選で現職が敗退。それは、演劇に注力し平田オリザ主宰の劇団を招聘した現職の政策へのNOであると捉えれている。ひいては、平田オリザの"製造業軽視"問題も大きく影響して、平田オリザ批判へともつながっている。私は彼の著作から演劇についてかなり勉強させてもらったので、心情的にあまり彼を責められない。発言の文脈自体がわからんし‥。

 

・『フィヒカル5-3』でホワイトヘッドに関して著した飯盛さんの論考を読んで。

ホワイトヘッドアメリカで20世紀に活躍した哲学者でありながら、「17世紀に逆流しているかのような」哲学を展開した人物。思弁的な哲学である一方で、カント以降の相関主義的前提を批判し、それを乗り越えようとした。〈実体〉の哲学と呼ばれるそれらに対して、ホワイトヘッド哲学は〈有機体〉の哲学と呼ばれる。実体の哲学の問題点として挙げていることは、➀実体間の関係性における理論上の問題②経験論的問題、である。特に②経験論的問題は英米系哲学で伝統的に重視されてきたものと重なる部分が多いかと思う。しかし、ホワイトヘッド哲学はその思弁性ゆえか英米系哲学者には相手にされず、むしろ大陸系、特にフランスの哲学者に注目された。大陸系・英米系(分析系)と二分されがちな現代哲学ではあるが、ホワイトヘッド哲学はどちらにも横断するものであるのではと期待を抱いた。